幸せとは、「今」この瞬間に感じている喜びがすべてだ。

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僕にとって、幸せとは、「今」この瞬間に感じている喜びがすべて。
過去でもないし、未来でもない。

陽の光を浴びながら散歩しているとき、僕の心は喜びを感じる。
自分の想いを文章で表現できたとき、僕の心は喜びを感じる。
誰かと心が繋がったと感じるとき、僕の心は喜びを感じる。

喜びを感じたとき、自然と「あぁ、幸せだなぁ」と漏れる。
そのとき、その瞬間、僕は幸せなんだと思う。

もちろん、僕の「過去」を思い返せば、たくさんの幸せな記憶がある。
でも、その幸せを「あぁ、幸せだなぁ」と感じていたのはそのときであって、今ではない。それまでの人生がどんなに幸せだったとしても、うつ病を患って今まさに死にたいと思っているときに「あぁ、幸せだなぁ」と感じることはできなかった。

だから、過去よりも、今この瞬間に喜びを感じていたいと思う。

また、僕は、「未来」にこうなれたら幸せだと考えることがある。
だけど、実際にその未来を手にいれて幸せを感じられるかどうかは、そのときになってみないと分からない。後で詳しく書くけれど、僕は過去に、こうなりたいと憧れる経営者像を目指していた時期がある。だけど、努力してたどりついた先で僕の心が感じたことは、「あれ、思っていた幸せとなにかが違う…」という虚無感だった。

だから、未来よりも、今この瞬間に感じる喜びを大切にしていたいと思う。

幸せは、過去ではなく、今にある

僕は、幼いときから、ゲームが好きだった。
ゲームをやっている時間は、没頭して、何時間やっても心が喜んでいた。
24歳ぐらいまで、僕の日常のなかにはいつもゲームがあった。

24歳になり、僕は独立して飲食店を出した。
飲食店の経営はとても苦労したけれど、そこではじめて、「自分の好きなことを提供して人が喜んでくれる喜び」を知った。その喜びは、自分ひとりしか喜べないゲームに比べて、はるかに大きな喜びだった。

その後、悩みをためこんでしまう性格から、僕はうつ病になった。
お店を続けることができない精神状態だったので、お店も閉めた。人間関係にも疲れたので、そのほどんどを捨てた。仕事も人間関係も無くなったので、一人の時間がたくさん生まれた。

その時期に、僕は、過去に好きだったゲームをした。
一人の時間に少しでも自分の心を喜ばせてあげようとして、過去に好きだったゲームをした。だけど、僕の心はなぜか喜びを感じなかった。

はじめは、うつ病のせいで喜びを感じられないのだと思った。
だけど、そうじゃなかった。

後にココトモを作ったことでハッキリと分かったけれど、僕がゲームをしても喜びを感じられなくなったのは、より大きな喜びである「自分の好きなことを提供して人が喜んでくれる喜び」を一度でも知ってしまったからだった。

僕は、昔と同じ場所に戻り、昔と同じ喜びを感じようとした。
だけど、新しいものと出会い、新しい喜びを知ってしまった今の僕の心は、過去の僕の心が感じる喜びでは満たされなかった。

幸せは、過去ではなく、「今」の僕の心が喜ぶことのなかにしか無いのだということを感じた。

幸せは、未来でもなく、今にある

僕が飲食店を開業してまもなくの頃、お店は大赤字だった。
もともと僕がお店を出した理由は「家族みたいな繋がりと、家みたいな居場所がほしい」という想いだったけれど、大赤字で明日にはお店が潰れてしまうかもしれない状況を体験することで、僕のなかに新しい想いが生まれた。

それは、「この大赤字からなんとか繁盛店にしてみせる」という想い。そして、「いつか、自分と同じように夢を持って独立した人たちが夢半ばで諦めないように、大赤字から繁盛店にした経験をつかって手助けしたい」という想い。

人生を賭けて挑戦したことが、上手くいかない。それが、どれほど苦しいことか、どれほど悔しいことか、痛いほどに感じたからこそ、同じ苦しみや悔しさを感じている人たちに手を差し伸べて、一緒に笑顔になりたいと思った。そのためにも、まずは自分がこの状況を乗り越えてみせる、そう思った。

その夢が自分のなかに芽生えたとき、なぜか涙があふれてきた。
それを叶えられたら、幸せになれると思った。

当時の僕は、嘘じゃなく、本当にこうなりたいと思っていた。
こうなりたいと思う気持ちが毎日のモチベーションとなり、明日にはお店が潰れてしまうかもしれない大赤字の状況のなかでも、前を向いて頑張ることができた。

人は「不安」のなかにも「希望」を感じたとき、行動を起こせる。
だから、ある意味では、こうなりたいと自分に思い込ませることで、苦しい状況を乗り越えられたのかもしれない。

お店の経営をはじめて3年が過ぎた頃、売上も安定してきて、ついに、「繁盛店にしてみせる」という1つ目の夢が叶った。そして、休みなく働き続けてきた僕にもすこしの余裕ができた。それまでは、お店の常連さんたちと関わっていても、いつも売上をなんとかすることばかりが頭にあったけれど、余裕ができたことで、今目の前にいる人たちと関わる時間に心から集中できた。

人と関わる時間は、とても楽しく感じられた。
楽しくて、「こんな時間がもっとあったらいいな」と思った。

そのとき、僕の心の奥底にしまって忘れかけていた気持ちが、ふいに蘇ってきた。そういえば僕は、もともと「家族みたいな繋がりと、家みたいな居場所がほしい」という想いでお店を出したのだった。

その気持ちが蘇ったとき、僕のなかで葛藤が生まれた。
それは、「人との関わりを楽しいと感じている、今」と「夢を追う人たちの手助けができたら幸せになれると信じている、未来」のどちらを大切にしたら良いのだろうか、という葛藤。

人と関わる時間は、とても楽しい。
だけど、未来の幸せを手に入れるためには、今の喜びを多少犠牲にしてでも、まだまだ頑張らなければいけない。

僕の心は、もちろん、何を大切にしたいか分かっていた。
だけど、そのときの僕は、自分の心に素直になれなかった。

頑張った先の「未来」にはきっと、もっと大きな喜びがあるはずだと自分に言い聞かせて、「今」の喜びを感じる時間を削ってでも頑張り続けた。だけど、頑張れば頑張るほど、僕の心はどんどんと苦しくなっていった。

そして、結果として、僕はうつ病になった。
未来のために頑張ろうとしても、心がついてこない。仕事をしようとしても、何も手につかなくなってしまった。そして、未来のために頑張れない自分を許せず、今の自分までも責めて、今すらも苦しくなっていった。

別に、未来の幸せに向けて頑張ることが悪いこと、というわけじゃない。
むしろ、人と関わることの喜びに出会うまでの間は、未来の幸せのために頑張っている毎日はとても充実したものだった。

ただ、そのときの僕は、「こうなったら幸せだ」という幻想に縛られて、あまりにも今の心を無視してしまった。新しい喜びと出会い、新しい喜びを求めている今の気持ちを大切にできなかったせいで、未来の幸せへ向かって動く気持ちすらも沸かなくなってしまった。

今思い返せば、そのときの僕にとっては、「今」と「未来」のどちらもが大切にしたいことだったのだと思う。人と関わる楽しさを感じたとき、その「今」をもっと大切にしてあげられたら、「未来」の夢も大切にできたのかもしれない。

幸せは、「今」の僕の心が喜ぶことを大切にしなければ失ってしまうものだということを感じた。

人の心は変わるもの。だから、変わる心に従って、今を大切に生きていきたいと思う。

ゲームが好きだった僕。
ゲームでは喜びを感じなくなった僕。
夢を追い求めることに生きがいを感じた僕。
夢を追い求めることよりも大切にしたい喜びを感じた僕。

僕にとっての幸せは、今この瞬間に感じている喜びがすべて。
だけど、僕の心が何に喜びを感じるかは日々変わっていく。

だから、いつも、変わる心に従って、今を大切に生きていきたいと思う。
たとえ何年間も積み上げてきたものがあったとしても、明日それよりも楽しいものと出会うことができたなら、積み上げてきたものを喜んで手放そうと思う。

それが、今の僕が選んでいる、僕にとっての幸せな生き方。

宝の地図を手に、宝を探す旅に出る。
目標は、宝を見つけること。

旅をはじめてみると、道中には、目を奪われるような景色や、共に旅する仲間との楽しい時間があった。

昔の僕は、道中での出来事には目もくれず、宝を目指した。
今の僕は、道中での出来事を楽しむようになった。そして、もし、道中に喜びを感じられたなら、宝を見つけられるかどうかは気にならなくなった。

別に、どちらが正解、とかは無い。
昔の僕は、昔の僕の心に沿って動いたし、今の僕は、今の僕の心に沿って動いてる。そのときどきで、旅の楽しみ方は変わっていくのだと思う。

たった一度しかない人生だから。
今この瞬間を大切に、自分の心が喜ぶ旅をつづけていきたいなと思う。

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